信楽焼壺考
たまたまTVで草刈正雄の”美の壺=信樂焼”をやっている。画面には、信楽の何気ない壺に、カラス瓜やノイバラの実のついた蔓を、斜めに手を広げたように活けてある。
かって北海道の恵庭から札幌に向かう山奥で摘んだ赤い実のついた蔓を思い出させて懐かしい。
ちょうどTVの前に、庭隅で日ザラシのプラスチック壺の、これもまた葉痛みした満開のクンシ蘭が、くたびれた手製子供椅子に置いてある。ご丁寧にランニングマシン用の上履きまで置いてある。
クンシ蘭のオレンジ色の花と黄いろとオレンジ色の椅子のマッチングがTVのカラスウリの実の赤と対比して美しい。こんな些細な美を感じられるのは有難いことだと思う。
スマホのカメラを用意しているうちに、TV画面は岡本太郎の美のツボに変わった。

びっくり仰天!
今週のお題「大切な人へ」
高校時代のクラスメートで、一緒に同じ大学理学部に進んだけれど、彼は博士課程から転身してキリスト教の牧師になり、自分はサラリーマンで終わった。
神学校を経て、牧師として若いうちは北海道から沖縄まで日本中を転々としたらしく、再会したのは自分が会社定年を過ぎたころ東京で彼が牧師を務める教会であった。
ヘブライ語やラテン語のキリスト教の文献の翻訳家としても名高いと聞く彼は、その後共に教会で働いていた奥さんを亡くし、今は関西の教会の牧師になっている息子さんと一緒に布教にいそしむ。
ごく最近、彼からビックリ仰天の彼らしい2枚の連続ハガキが来たのだ。
彼の旧友から、大津郡中学連合会の文集なるもので見つけたという、中学校は違うが彼は中国から青海島への引き揚げ者で、お互い敗戦の奈落を見た中学2年生の自分の掲載文章を送ってくれたのだ。
残念ながら、今回は彼の「新春に想う」の文章は送ってくれず、自分の「友なつかしき宵」という散文詩だけだった。恥ずかしいが、戦前の京城時代の小学校の友なつかしむ詩。引き揚げ後、一度東北のどこからか手紙が来たような気がするが茫洋だ。
『 「友なつかしき宵」
音静けき春雨は日の白いヴェールで宵をつつむ。
灯は淡く滲み、その中に友の面影が浮かんで来る。
今は戦乱の異国となった(朝鮮戦争のこと)あの丘で遊んだ友懐かしむこの宵、背の高かったあの友、生駒山(現ソウルの南東の丘)でトンボを追ったことも、自転車に乗せて貰ったことも、今ははるかな夢と過ぎ去った。』
こんな生ッチョロイ詩を書いた記憶は全くないが、今度は彼の文章を送って貰いたいものだ。
ケソケソしちょるって言わんかね?
昨日だったか?facebook上でパソコンのブラウザ(Edgeとgoogle chrome)についてのコメントに「microsoftのEdgeはインターネット接続の動きが”ケソケソ”とし落ち着かない」と書いた。
ついいつもの勢いで書いたが後から考えるに「ケソケソ」は長門方言ではないか?
子供のころ早トッチリで落ち着きがない状態を「ケソケソするな」と言われたもんだから。僕の場合、ブラウザをEdgeにしたPCの方は例えばAサイトに申し込みしようと入力欄に書き込もうとすると、途中で勝手に切れて元のページなどに戻ってしまう。何度やってもまた再現する。詰まり、ケソケソと落ちるか無いのだ。
仕方ないから手持ちの別のパソコンのブラウザをchromeにして使うことにした。
皆さんこんな時「ケソケソと落ち着かんと言わんかね?」
ますます息苦しい時代になって行く
自分のような遠の昔に退役した年寄りにも、現在のような日本の社会が極端に閉塞した状況になっているのが感じられる。
子供時代ではあったが先の世界大戦下にあった外地の日本人社会と、敗戦時の大人たちの豹変と行動の浅ましさを見て、運命によって携わってきた日本の防衛軍備技術の一端から政府や官僚や民間の立場上のいろいろな局面での行動などを見てきた経験が、自分の中でいわば本能的に反応する。
日本人が自由を失う極めて危険な岐路に立っているのではないか?
為政者は民衆と共に敵ユダヤ人を作って行く 独裁化
為政者は初心なイイ子たちをタブラカス ユルゲント化
能のない為政者は年金で老人をユタヤ人化する IR化の言い訳にする
久しぶりのグラウンド・ゴルフ日和
11月になって11月1日金曜日に次いで2日目のグラウンド・ゴルフプレイ日だ。
今日も絶好の秋晴れ!
一丁目公園を共有して一緒にやっている隣町のシニアクラブの面々は9:00からプレイ開始。 当方は9:30から同じコースを回る。
空はあくまでも宇宙の深部を見るごとき紺碧、青桐の枝の黄緑と落葉前の病葉色がコントラストを鮮やかに、宇宙に思いを馳せる。
紺碧の宇宙に桐の緑枝添え
願わくは病葉緑枝に憩いたし紺碧の空に桐一葉ごろ
青桐の黄緑の枝に涙する濃紺の空に我ら小さき

青桐の黄緑の枝に涙する濃紺の空に我ら小さき

